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ちょっとふかいはなし

私がいつも拝見させて頂いているとあるサイトにこんな投稿がありました。

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親が生きているうちにたくさん親孝行して
親が死んでしまった時。

「生きているうちにたくさん親孝行できてよかった」と
言ってしまった人がいたら

その人は生きているうちに親孝行できずに、後悔する人よりも
親不孝者だと思う。

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敬老の日に関する記事に対して投稿されたコメントなんですけど・・・

なんともはや、深いなぁと思った次第で。

そんな私はまだまだまだまだ親不孝ものです。

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「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

ちょっと調べてみました。
親孝行
(名・形動)スル
親を大切にする・こと(さま)。そのような人をもいう。
<民明書房 国語辞典より>


>「生きているうちにたくさん親孝行できてよかった」
言った人はほんとに親不孝でしょか?
親不孝か親不孝ではないかは誰が決めるのですか?親ですか?自分ですか?第三者ですか?

私は自分で決めていいと思います。

深い話と言うよりも視点が定まっていない曖昧な話ではないでしょうか?

自分が考える親孝行をやったのだからいいのではないでしょうか?それを後悔した人より親不孝と言うのがわかりません。

結局誰かに評価されなければ自分の存在を、証明できない現代に多い、文化の産物的発言としかとらえる事ができません。

この発言は続きや解説などがあるのでしたらサイトを教えてください。

長々とすいませんでした。

投稿: 水玉 | 2005/09/06 10:54

水玉さん、いつもコメントありがとうございます^^
今回は水玉さんから的確な指摘を頂き、「なるほど」と唸ってしまいました。

>親不孝か親不孝ではないかは誰が決めるのですか?親ですか?
>自分ですか?第三者ですか?

>私は自分で決めていいと思います。

確かにその通りだと私も思います。

その理由として、世に言う「善行」というものは他人から評価してもうらうために
取る行動ではなく、あくまで自己から発せられる良心による行動で行われるのが
望ましいと考えるからです。
ただし、「望ましい」としたのは、例え他人から評価してもらうための行動だった
としても、結果としてそれが「人を幸せにする行為」だった場合は、
その恩恵に預かった人からすると「善行」だった訳で。

>深い話と言うよりも視点が定まっていない曖昧な話ではないでしょうか?

私がこの文章を取り上げた理由は以下のような理由によります。

「生きているうちにたくさん親孝行できてよかった」と満足した時点で、
その人は親に対する愛情に限度を設けていたのではないか?
無償の愛と言うものが親子の愛情だと仮定した場合に限度を設けてしまっては、
既にそれは無償では無くなってしまうのではないか。
ゆえに、親孝行をできなかったと感じている人は、親からの無償の愛を
感じ取る事ができたのであり、親孝行できたと思った人は、それを感じ取る事が
できなかったのではないだろうか。

と考えたため、「深いなぁ」と思った訳です。

ただ指摘にあるように、親孝行した方が親不孝というのも、
確かに変な話ではありますね^^;
結果として「親孝行」はしてるんですもんね。

結局この評価は第三者の目から見たものなんでしょうね。

そういう意味では、

>結局誰かに評価されなければ自分の存在を、証明できない

の下りは正にその通りだと思います。

思いますが、しかし、なかなか自我を確立するのは難しいもので・・・
かく言う私もまだまだ他人の評価は気になるものです。
ともすれば、他人の目があるからこそ、頑張ったりできる
と言う部分もあるのかなぁと思ったりもします。

何かややこしいコメントになっちゃってすいません。
でもこうやって議論できるのは、かなり楽しかったりします^^

今後とも宜しくお願い致します。

追記)
民明書房ってwww男塾ですよね?www

投稿: 尚 | 2005/09/07 02:00

たしかに善行についてはそうだと思いますね。
>自己から発せられる良心による行動
 と言ってもやはりなかなかそれのみで動くことは難しいかもしれませんね。他人の目など気になったりしてしまう物ですから。
子供の純粋さみたいな物があればいいのでしょうが、大人になると色々大切な物が見えなくなって、よけいな物が見えてしまったような気がします。


限度をもうける。というのはこの場合親が亡くなったと言うのが限度ではないでしょうか。
無償と無限は意味が違うと思います。
無償とはあくまでも善行に対する内容であり、限度を設けてしまうことが無償ではない事ではないと思います。
親が亡くなると言う時間の中で(限度)自分の考える満足のゆく親孝行を出来た人は幸せだと思います。
いつ亡くなるかわからない親です。親孝行できずに後悔してしまう人はなぜもっとして親孝行してあげなかったのか?
そして親がなくなり後悔だけが残る。その人は一生その後悔を背負って行く。つらいだけです。

色々言ってしまいましたが、最初の敬老の日のコメントの意味が分からない訳ではなかったのですが、ちょっと反論的な事を長々と書いてしまいました。
私も過去親が大病で助からない可能性が大きいと言われたとき、まだ親孝行できてない!と言う思いがありました。その後一命を取り留め退院しております。
親孝行という終わりのない善行だけど、後悔しないように日々できる限りの親孝行をして行こうと思いました。
だからこのコメント
>「生きているうちにたくさん親孝行できてよかった」と言ってしまった人
が、うらやましく感じてしまいフォローする感じで色々書き込んでしまいました。

投稿: 水玉 | 2005/09/07 10:23

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